コーチングでよく見かける症状のひとつとして
物事をデジタルに、二元的に見すぎる
というのがあります。
なんでもいいんですが、世の中や人生って、こんな簡単に白黒付けられるものではありません。
これをもし正確に言い換えるなら、
今現在私が立っているところからは、そのように見える
とでもしておきましょうか。
この白黒だけのモノクロの世界から抜けられないと、正しいと認められるまで戦うか、間違っていると認識して被害者になるかの2択しかありません。
まず前提として、この世界で起きている出来事に絶対的な意味はない、ということを認識しておいてください。
だから、状況への意味づけは、自分の立場や環境、価値観によって違う意味を持つということです。
例えば
あなたの大好きなラーメン屋さんが閉店しました。
あなたは、なくなっちゃうなんて悲しいな、と思います。
ラーメンが好きではないAさんは、その情報に反応すらしません。
ラーメン屋の行列を迷惑に思っていたご近所のBさんは、閉店してほっとしています。
ラーメン屋のオーナーは、毎日早起きしなくてよくなって、嬉しいな、と思っています。
ライバル店のCさんは、お客さんが増えたと喜んでいます。
反応の違いは、やはりそれぞれの立ち位置の違いによって起きている、ということがわかりますか?
だからあなたがそこでいくら、「この話は悲しい話だ」と主張したところで、ライバル店のCさんが「嬉しい」という反応を変えるかというと、変えないですよね。
どちらも正しい、というのが正解かな、と思います。
これは法則のように絶対的なことであっても、同じです。
あなたは引力がある、空気があって呼吸ができる、というのを当たり前だと思っているでしょうが、地球の外に出たらそれは違いますね。
全ては「自分がどこにいるか」ということで変わるのです。
だから、あなたがここでしなくてはいけないのは、どちらが正しいかを判断することではなく、どの意見もそれなりに全部正しいことを受け入れた上で、自分がどんなストーリーを選びたいのかを自分で決めて、それを信じる、ということしかありません。
ラーメン屋が閉まって悲しい思いでこれからの人生を歩きたいなら、その悲劇のストーリーの中にいればいいでしょう。
でも勘違いしないで欲しいのは、他のストーリーだって選べるのに、その悲劇を選択したのは「自分」だということです。
それとも、悲しかったと思ったけれど「そうだ、実はまだ他にも気になっているのに試していないラーメン屋さんがあるんだよね。せっかくだから今度あの店に行ってみよう」という、ワクワクするようなストーリーに変えることもできます。
悲しいと思うこと自体がいけないのではありません。
それ自体は単なる自分の状況への反応ですから、そこからわかることがあるとすれば、例えば
「ああ、私にとってあのラーメン屋さんって、本当に心の支えだったんだな」
という事実ですね。
だからといって、これからずっと悲しみに暮れながら生きる必要はないわけで、今まで心の支えとなってくれたラーメン屋さんがあったんだ、という素晴らしい思い出を胸に、前進していけばいいんです。
ネガティブに感じることは単なるシグナルですから、その真意を汲み取ったら、もうネガティブの役目は実は終わりです。
さっさと気持ちを切り替えて、前に歩いて行こう、と決めてください。
ラーメン屋の話ならもちろんできるけど、例えば大切なひとを失ったとか、そういう場合は?
そういう場合も実は同じです。
ただ、その場合、しばらくは悲しみの中に浸っていたい、という思いもあるかもしれません。
だとしたら、その期間は悲しんでいたっていいんです。
でももう時期がきたな、と思ったら、自分でシナリオを変えていいんですよ。
話が飛びました。
二元的にものを見る傾向が強すぎるとどんな弊害があるか?
総じて選択肢が狭まり、人間関係が悪くなる、という状況を生み出してしまうのです。
もし人生をこれから先どんどん広げていくような、選択肢もどんどん増えていろんな人と繋がっていけるような生き方がしたいなら、ぜひ「どんな意見も全て正しい」という前提を信じてみてください。
その上でコミュニケーションを取るようにすれば、自分の選択肢もどんどん広がるし、多くの人といい関係を築いていくことができますよ。
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